反戦運動とは

2010年2月20日

反戦運動

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反戦運動(はんせんうんどう Antiwar movement)とは、平和主義の観点から戦争に反対する個人または団体の運動や活動である。平和運動よりもやや狭義で捉えられるが、厳密な区分はない。

目次

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概要 [編集]

反戦運動は、手段としての戦争に反対することがその目的であり、戦争の原因となっている問題自体に対しては意見を問わず、平和的な解決を求める。運動の具体的な内容には徴兵拒否、軍隊からの脱走、デモ行進、ビラ配布、戦争当事国の輸出品目の不買運動、軍需産業ストライキ、当局関係者による内部告発などがある。湾岸戦争の際、ビックカメラが社として、多国籍軍に加わったフランス製品の不買を呼びかけたのは有名。

いわゆる反戦団体や支持者があらゆる戦争に平等に反対しているとは限らず、むしろ温度差がある場合がほとんどである。単に自分の利害にかかわる戦争のみにしか関心がないこともある。もっとも、普遍的人権や民主主義の理念から、人権団体が反戦運動に取り組んだり、基本的人権の観点から反戦に取り組んでいる反戦団体も多い。例えば欧州では、ヨーロッパ諸国との直接的利害関係が薄いチベット問題に対しての反戦運動も盛んである。しかし、アジアやアフリカの発展途上国からは、そもそも欧州の人権団体が主張する人権や民主主義自体が欧米の価値観を前提としている「欧米中心主義」だという批判や反発もある。

国家、特に民主政国家は世論に関心を払わざるを得ず、厭戦気分の煽動は戦争継続の妨害になる。そのため戦時下にある国では、敵国や第三国が該当国の反戦運動を利用することが警戒され、何らかの形で報道規制が敷かれることが多い。さらに、政府当局が反戦運動を「心理戦における相手国への利敵活動」と見なし、監視対象にすることもある。平時にあっても、スイス政府が『民間防衛』中で“敵の宣伝に備えよ”と教育宣伝を行なうなど、国民に反戦・反政府団体への警戒心を植え付ける教育を行うことがある。

歴史 [編集]

運動の根幹をなす反戦の概念は比較的新しく、その現れは南北戦争の時代に文学などで既に見られたが、平和主義思想の展開に伴って本格的になったのは第一次世界大戦以降の国家総力戦(Total war)に対する損害が増大してからであると考えられている。

第一次世界大戦において国民総動員体制の下でそれまでよりも多大な犠牲が払われる事になると、戦争は国民への負担を強いるようになり、厭戦気分を生むようになった。また従来から戦争において行われる非人道的な殺戮や破壊行為への問題視が、反戦活動の社会的な基礎となった。 社会的な問題として顕著となったのは20世紀の後半、特にアメリカイギリスなどの欧米諸国でベトナム戦争に参戦してからである。

反戦運動と反米運動の関連 [編集]

2003年3月15日のワシントンD.C.集会

反戦運動は、アメリカが行う戦争に対してアメリカ国内でアメリカ市民が反対することが発端となることも多い。代表的な例として、ベトナム戦争時におけるアメリカでの反戦運動があげられる。また、2003年3月20日にアメリカがイラク戦争を開戦する以前に世界各国でイラク攻撃の反対運動が展開した(開戦直後には世界を24時間かけて一周する反戦デモのリレーが行なわれた)ことも例としてあげられる。

日本における現在の反戦運動は、在日米軍や日米安保に絡んで反米に主眼をおいたものが多く、ダルフール紛争南オセチア戦争など米国の関与していない戦争に対しては大きく取り組まない場合がほとんどである。一方、アメリカの支援を受けているイスラエルによるパレスチナ攻撃は、反米の宣伝に利用できるため、デモ活動を行うなど積極的に活動している(アメリカ帝国も参照)。

一方、欧米、特に欧州の反戦団体では米国やNATOが関与していないダルフール紛争や南オセチア紛争、チベット問題にも、米国やNATOが関わっているイラク戦争やアフガニスタン戦争、コソボ紛争と同様に取り組んでいる団体が目立ち、多様な活動が展開されている。

日本の昭和初期の平和運動と現在の反戦主義者の目標 [編集]

昭和初期の大日本帝国では、世界各国の市民の命と引き換えに金儲けしているアメリカの軍需産業と軍産複合体を根絶しなければならないというのが世界の絶対平和実現のためのテーマであった[要出典]石原莞爾のように「天皇が世界の天皇で在らせらるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろう」[1]とし、世界平和を目指して柳条湖事件(満州事変)を起こしたような実例もあった。(世界最終戦論参照。

これに対し、現在の反戦運動の多くは、その過程においての「平和のための戦闘」についても否定的である。

日本国内の反戦団体や人権団体は、日本や米国の軍事力に対する活動が盛んであるが、その他国家の軍事力や戦争に対する活動はあまり見られない。たとえばスーダン政府が関与しているダルフール紛争、中国がチベットを武力で弾圧を行っているチベット問題に関しては多くの団体が特に非難声明などを発することなく静観している(ただし、日本国内にもこうした問題に言及する反戦団体が全くないわけではない)。自衛隊に対してはパレードを行うだけで抗議を行ったり寄港した米軍艦艇や民間の港に寄港した自衛隊の艦船に抗議する一方で、交流の一環として寄港した韓国海軍や中国人民解放軍海軍の軍艦には何のリアクションも無いといった事があり(米軍以外では、ロシア海軍艦船に対してグルジア侵攻への抗議活動が行われたり[2]フランス海軍艦船寄港への反対運動が行われたり[3]している)、この状況は右派・保守反中派や反戦運動を懐疑的に見ている層から、「日本の反戦団体は中国や韓国のスパイ組織なのではないか」という陰謀論が展開される大きな要因となり、公安警察公安調査庁などの治安維持組織が反戦団体を監視することもある。実際、ベトナム戦争に関連して反米的性格の強い反戦運動を展開していたベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)は、ソビエト連邦など共産圏の政府から金銭、物資面の支援を受けたことが暴露され[4]、少数の米軍脱走兵を正式な法手続きを経ずに日本からスウェーデンなどの中立国に脱出させる反米活動をしていたことが判明している。これは、前述の「日本の反戦団体は中国や韓国のスパイ組織なのではないか」という説に説得力を持たせる前例となっている。

反戦運動は戦争に反対するものであり、戦争を抑止する為の軍隊に反対するものではないが、非武装平和主義の思想が残る日本では軍隊に対する嫌悪や反感が示される。中には軍や警察を敵視し、さらには自衛官・警官個人やその家族を人殺し等と非難して、親が自衛官や警察官というだけで人権を軽視する例が存在する[5]立川市長による自衛隊員住民登録拒否事件などは、市長自らがその権限を利用して自衛官の住民登録を拒否した事件である。

反戦が軍隊への嫌悪に結びつくのは決して日本特有のものではなく、アメリカでも同様の事例があり、過酷なベトナム戦争から帰還したアメリカ兵は反戦運動家からベビーキラーと罵倒され、偏見と差別を受けた。しかしアメリカから武力を無くしてしまおうという運動が支持を集めたことはない。アメリカ軍を含む国家権力を嫌悪し、民兵による自力救済を理想とする反連邦主義の思想は存在するが、反戦と言うよりも一種の極右思想と認識されている。