Last Update 10:10 AM TOKYO JAPAN THURSDAY, NOVEMBER 08 2007  

Philosophy & Wisdom
  今、「旧石器発掘ねつ造」事件を振り返って!!  

Submit your comment!


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://gnn.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/195

2000年11月5日、毎日新聞朝刊1面トップで日本中の古代史フアンに留まらず社会的にセンセーショナルを巻き起こした「旧石器発掘ねつ造」事件が報じられた。

 記事には、
東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長(当時)による同年の宮城県築館町・上高森遺跡、北海道新十津川町・総進不動坂遺跡出土の前期旧石器(10数万年以前)は、別の遺跡の石器を埋めて「発見」劇を自作自演して「ねつ造」と判明と記されていた。
その後、文化庁・日本考古学協会によって検証調査が進められ、さらに2001年9月に藤村氏本人から多くの関係遺跡でのねつ造を同協会に認めた。これをもって日本考古学は、前期旧石器研究を白紙の状態から再出発しなければならなくなった。

一連の報道の中で、ねつ造の問題とされたのは、
① 藤村氏自身の学問に対する姿勢
② 日本考古学の体質
③ 埋蔵文化財行政の体制
以上3点でその指摘内容は、
① 藤村氏自身の功名心
② 調査の検証機能が整っていない
③ 市民に広く埋蔵文化財が認知されていない
とそれぞれ総括され今日に至った。

 ここで報道に対していくつかの疑問を挙げてみる。藤村氏がどうしてここまでねつ造を仕掛けなければならなかったのかを考古学の調査研究体制の杜撰さと個人の資質の問題として捉えている。
 だが、考古学の歴史とマスコミの関係及び考古学の置かれた社会背景についてはほとんど触れられていない。ワイドーショー的な物事の表面だけを扱って興味本位の即物的な表現・取材に終始するマスコミ。その極みが、週刊文春による地方私立大の教授を死に追いやった。
そもそも藤村氏がなぜ何十年もかけてねつ造を自作自演しなければならなかったのか。その動機にこそ、事件の本質が隠されているのではないのか。現在の社会が抱える様々な問題は、この事件に凝縮されているように思えてならない。
まず、藤村氏についてこれまでの経過を踏まえて整理してみよう。

 

① 民間の研究者
② 高学歴でない
③ 地方コンプレックスまたは地域主義
④ 藤村氏が大学等の研究機関や文化庁・地方自治体等の公共機関に属さない一介の民間の研究者であること。
⑤ 藤村氏は、高校出身で正規に大学において考古学を学ばなかった。

そこで藤村氏は、考古学の世界で自分の位置を確保するには、「事実の発見」という学歴と直接結び付かない実証的方法に目を向けた。ただ彼は、その実証の成果を発展的に生かす努力を回避したし、それを本人が無意識の中で選択せられざる得ない学問環境にあった。学者が研究論文を発表すると内容よりも発表者がどの大学の出身者でどんな大学の権威者について学んできたのかが研究評価に結び付く。
また学問領域では、学者は未開分野や亜流に力を注ぎ実績を残そうとする。この場合の学者とは、東京大学・京都大学出身のエリートアカデイズム以外の学者を示す。本流から外れた学者が、学会で名を残すのは、新しい分野で自分のポジションを確保するしか術がない。悲しいかな在野の研究者である藤村氏の思惑と周辺学者の野心が一致した。

⑥ 藤村氏が属していた石器文化談話会や東北旧石器研究者の集まりで民間から行政・大学機関と幅広い層から成っている。また会員の出身県のほとんどは、東北で占められる。東北圏出身者は、中央への対抗意識及びコンプレックスが歴史的に彼らの精神面に内在する。それが常によい方向として作用するとは限らない。

今回の事件は、脚光を浴びる悦びから抜け出せず藤村氏が1970年代に始まった座散乱木遺跡の発掘調査以来、数十年に渡って行われた「旧石器発掘ねつ造」を見過ごす結果となった。
これら一連の原因は、人の心のもつ心の闇、すきま、エゴではないか。
誰もがその可能性を孕んでいると、肝に銘じてこの事件をわが身として振り返ってみなければならない。そう今、読んでいるあなたも!
(木村 幻人)

旧石器発掘捏造に関するリンク集


News